デンティストKの馬耳東風

カテゴリ: 歴史

行ってきました!只見町にある河合継之助記念館。
戊辰戦争に不本意な形で巻き込まれ、最大の激戦となった。



幕末に将来を見据え、強烈な藩政改革を行い備えたが、
志ならず、只見町にて終焉を迎えた。



歴史家は河合継之助を、戊辰戦争における最も
優秀な軍事指揮者に挙げている。



大河ドラマ「西郷どん」にも出てきたガトリング砲。
当時日本には三門しか存在せず、そのうちの一門を
長岡藩が所持していた。



継之助は武装中立を目指していたが、成らず。
発想が独特で気骨稜稜ですなー。




第一只見川橋梁。
電車は・・・なかなか通りませんなー。ハハ…

先日新聞記事で湯田川温泉に新徴組本部跡があると紹介していたので、
早速行ってみました。



おお・・・
新徴組は新選組の片割れで、清河八郎が暗殺された後、
庄内藩に抱えられて、江戸の警護に当たってたんですなー。



戊辰戦争の引き金になったのが、江戸における庄内藩士による、
薩摩藩邸焼き討ち。そして庄内藩は最後まで降伏しなかった。



次に訪れたのが南洲神社。庄内に西郷隆盛の遺徳を称えた南洲神社がありますなー。
庄内藩士の心意気が西郷隆盛に通じたんですなー。



その後訪れたのが、清河神社と清河八郎記念館。
清河八郎は尊王攘夷思想の先駆けとして、非常に重要な役割を果たしているんですなー。



神社の桜と椿がとてもきれいに咲いておりました。
椿が根元に赤く散って、なんか清河八郎を連想させるようでした。

チョッと前の話になりますが、舟形町西の前遺跡出土の土偶が
国宝指定されましたなー。

いや、ヨカッタすなー。
しかも八頭身美人ですなー。

徳川家康の言葉ですなー。

家康の大河ドラマなどでのイメージですと、狸の策略家でいいイメージではないのですが、
こういう言葉をから察すると、やはり偉いんだなーと思えてきます。

d9085abc.jpg


何れにしろ、現代ではなかなかこの境地に達するのは難しいかもしれませんなー。

「人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし」
人を非難せず、自分の誠意が足りないことを反省せよ

西郷隆盛ドンの言葉ですなー。
いやー、さすがですなー。

私もいっつも人のせいにしてしまいますなー。
反省!!

1bed87cd.jpg


この言葉は「南洲翁遺訓」の一節のようで、
「南洲翁遺訓」は山形の庄内藩の人々が西郷ドンを慕ってまとめたものなんだそうですなー。

んー、いいっすなー。

このページのトップヘ